2016年7月3日日曜日

悲惨な死後蘇えったアメリカのスーパースター

妻子が去り、孤独と飲酒に溺れ、最期は所持金38セント・・・
37歳の若さで亡くなったフォスターの人生と偉業


スティ-ブン・コリンズ・フォスター

7月4日はアメリカの独立記念日です。
そして・・・
「アメリカ音楽の父」と呼ばれる作曲家フォスターの誕生日
でもあります(1826~64年)

この写真に見覚えはありませんか?
そう、学校の音楽室に並んでいた
音楽家の肖像画の中のひとりです。

太っちょカツラのバッハおじさんに比べると
ハンサムで斜に構えている印象がありますよね(笑)
ちなみにバッハは「音楽の父」と呼ばれています。
フォスターは「アメリカ音楽の父」です。

このフォスターさんが作曲した曲はたくさんあります。
有名なのは・・・

「おおスザンナ」
「草競馬」
「故郷の人々」(スワニー河)
「主人は冷たい土の中に」
「ケンタッキーの我が家」
「金髪のジェニー」
「オールド・ブラック・ジョー」
「夢見る人」(夢路より)

中高年の方ならこの中のほとんどを知っているのでは?
教科書にも載っていましたし。

フォスターは20年間で約200曲も作曲しました。
その多くは、親しみやすい黒人歌・農園歌・ラブソング
そして郷愁歌です。

彼は、ペンシルベニア州ピッツバーグの
比較的裕福な家庭の10人兄弟の末っ子に生まれ
音楽環境の整った子供時代を過ごしました。
音楽のアカデミックな教育は受けませんでしたが、
若い頃からいくつもの曲を作曲しています。

しかし、1845年にピッツバーグで大火災が発生し、
オハイオ州に転居し、簿記の仕事をします。
南部の黒人労働者の歌が満ち溢れていたことから
黒人霊歌の影響を受けた音楽を作りました。

23歳頃から、後に有名となる曲が作曲されるようになり、
医師の娘のジェニーと結婚します。
曲は売れるのですが、その頃は
著作権や印税が十分に確立しておらず
収入にあまり結びつかなかったようです。

30歳の時に、両親や兄弟が亡くなり、
その借金を負ってしまいます。

また、1861年に始まった南北戦争は
フォスターの破滅の始まりとなりました。
出版事情の悪化や、北部に属するフォスターの曲は
南部では演奏されなくなりました。

どれだけ作曲しても生活は困窮し、ついに・・・
妻子は去っていきます。

次第に飲酒に溺れ、孤独に苛まれてゆき・・・

1864年1月10日、マンハッタンのさびれたホテルに宿泊中
フォスターは高熱で倒れました。
倒れた時、洗面台のガラスが割れ、運悪くその破片が
頸動脈を切断してしまいました。
病院に搬送されましたが、出血多量により死亡しました。

37歳没。
所持品はわずか38セントの小銭のみ。
そして、友人に宛てた「親愛なる友だちとやさしき心よ」
が残されていたそうです。

フォスターの死を知らされた妻ジェニーは
遺体と対面するやその場で泣き崩れたと
伝えられています。

彼の死より2か月後に「夢路より」が発表されています。

こういった背景を知ってこの歌を聴くと
何かもの悲しさを感じてしまいます。

そして、死の翌年1865年の南北戦争終結後、
フォスターの曲は人気を取り戻していきます。

その後、フォスターの多くの作品は
アメリカのみならず全世界で
歌われたり演奏されるようになりました。

「アメリカ音楽の父」として後世の作曲家にも
大きな影響を与えました。

フォスター自身は自分の成功を
見届けることはできませんでしたが、
死後に蘇えり、人々の心の中に生きています。

フォスターさん、
190歳のお誕生日おめでとうございます。
あなたの残した曲は永遠に不滅です!



     

      
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2 件のコメント:

自由人 さんのコメント...

夏目漱石のポーズに似てますね。
右手と左手の違いと…カメラ目線の
フォスターとあっち向いてる金ちゃん(笑)

190歳誕生日オメ!!


すみれ さんのコメント...

自由人さん

そういわれてみると、夏目漱石のポーズと似ていますね!
フォスターの写真は、右手・左手両方があるんですよ。
金ちゃんって漱石の本名金之助のこと?