2016年9月4日日曜日

いつもあるものがないと・・・

あって当たり前のものがないと・・・


先日、掛け時計の針が動かなくなりました。
電池が切れたようです。

なので、壁からはずして電池を入れ替えました。

普通はすぐに動き始めるのですが、
この時計は電波時計のため
すぐに正確な時刻を指してくれません。

12時のところでピタッと止まってしまいました。

仕方がないので、窓際にしばらく置いておきました。
受信には少し時間がかかる時計のようです。

その後、忘れて他のことをしていたのですが、
ふと目をやると時計がない。
(だって受信中なのですから)

無意識に時刻を知るために
時計の場所に目が行ってしまいます。

今までの習慣なのですね。

習慣って本当に体に染み込んでいるみたい。

何度も、時計の場所に目をやってしまい・・・

そのくらい、時間とともに生活していることが
身に染みてわかりました。

しばらくして、やっと受信が完了し
壁に時計を掛けました。

安心感。

あるべき所に必要なものがあるというのは、
本当に安心感につながります。

今まで、あって当たり前だったものが
少しでもなくなったりするとその直後困惑します。

そう思うと・・・

18年間飼っていたワンコが亡くなった日

子供が東京の大学に行ってしまった日

大きな出来事があり、しばらくロスになりました。

長年、身近に存在して当たり前だったこと(人)が
急になくなる、いなくなることの喪失感・・・

なかなか新しい環境に慣れるまでには
時間がかかりました。

でも、何とか立ち直り
今ではよい思い出になっています。

子供は社会人となり、今も東京で頑張っています。
自立してくれたので、一応子育て終了ですね。

でも、子供もワンコも、かつて
「だっこ」した感覚は今でも忘れられません。

今回の掛け時計も、
もし場所を変えれば、その場所に慣れていくでしょう。

でも、やはり同じ場所に掛けました。

20年近く同じ場所。
そして、これからも同じ場所。
時計は変わるかもしれないけど。

人生を重ねるたびに、
いろいろなことが変化していきます。

人も環境も・・・

そんな時は、やはり喪失感や困惑があるでしょう。

でも、少しづつ新しい環境に慣れていく・・・

今回の掛け時計電池切れで、
「いつもあるもの」について考えさせられました。

そういえば、「お腹すいた~」と言うおっさんが
いつも近くに存在していることに
あらためて気がつきました。(^^;)




     

      
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2 件のコメント:

神田ももたろう さんのコメント...

当たり前だったものこそ、失ってわかる尊さ…

私も母を比較的早く亡くしましたが、
もう気がついたら20年近く経過しました。

そして、今は居ないことが当たり前になっている。
そういうものなのでしょうね。

すみれ さんのコメント...

神田ももたろうさん

お母さまを若くして亡くされて寂しかったですね。
思い出だけは残りますので・・・