2016年4月26日火曜日

雑草という存在

暖かくなってきて、庭の雑草がグングンと
元気よく生えてきました。 
この草の成長の早さと草取りをするスピードは、
まさに追いかけっこです。

年齢を重ねるにつれて、
この追いかけっこに負けるようになりました。
奴らの増殖力はすごいです!

取ったと思ったら、また生えてる。
雨が降れば、成長は凄まじいものがあります。

冬場はじっと身を潜めていたのに、
ここにきて一斉に生え出す。

この格闘が、秋まで続くのですから。

 
一時期、仕事をしていた時は、
シルバー人材センターにお願いしたことがあります。

シルバーさんは、高齢者の方ばかりですが、
農作業もされてきた方も多く、すごくお元気です。


2名で、手の付けられなかった雑草軍団を、
きれいな庭に変身させてくれました。

でも、1か月も経つと、また奴らが生えてきました。
 
雑草を
枯らす薬をまくということも

ひとつの方法ですが
その頃、わんこを飼っており、無理でした。

結局、手で取るか機械で刈るか・・・

マンションに住んでいた頃は、本当に楽でした。
草取りという概念がないのですから。
せいぜい、近所の環境美化の日に参加するぐらいでした。

昨日、草取りをしていて感じたことがあります。


「奴らは奴らなりに、必死に生きようとしている。」
「嫌われ者として扱われているけど、
雑草に罪はない。」

人間の都合で、刈り取られているだけなのです。

まだ、生えてきたばかりの若い草たちを取りながら、
 
「これから生きようとしているのにごめんね。」

そんな気分になりました。


雑草の横で、大切に育てられる花たち・・・

 「なんか、格差社会だなあ・・・


と、感じました。


「踏まれても踏まれても強く生きる雑草になりたい。」

という言葉を聞いたことがありますが、


「踏まれる前に刈り取られる庭の雑草にはなりたくない。」


が本音ですかねぇ(^^;)




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